人ばかり見てると、たまに海が見たくなる。
逆に海ばかり見てると、たまには人に会いたくなるもんなのかな。
いい意味でも悪い意味でも、会えて良かったと思えるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
人生のつかの間の休息。
日曜日よりの使者。
韓国で迎えた30の誕生日。仲間たちの計らいで祝ってもらったサプライズバースデイ。
江南隣のSinnonhyeonの韓国刺身料理屋にて。
パーティーの後、苦しい時期を一緒に乗り越えてきた仲間たちとSinnonhyeonの街の心地の良い夜風に吹かれながら、大通りに面した小洒落たcafeで今までのこととこれから先のことを取り留めもなく語り合った。
会社にとっても念願だったアジア進出を果たした夜、忘れられない日だ。
韓国のデジタルサイネージ普及と生活者のスマホ(タブレット)利用率の高さを実感してきた。韓国研修にて。
宿は江南からソウルメトロで二駅目の宣陵(Seolleung)。
エネルギッシュな街だった。
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しかし僕は思うのだけれど、このように相反的なものの同時生の中にこそ、我々の偉大なる「普通生」があるのではないか。よく考えてみれば、我々は実は適当にまとめられる借り物の自分の姿と、借り物ではないけどうまくまとめられない自分との奇妙な狭間に生きているのではあるまいか。我々ははっきりとどちらにつくこともできず、どちらにつこうという決心もできないままに、「普通の人」としてこの世にずるずると生きているのではあるまいか。
朝目覚めたばかりの人間というのはおそらく最も無防備で不用意な存在である。
そういえば、ここ半年間、朝起きた瞬間に考える事が変わってない。
世の中のものごとには多くの場合、結論なんてない。
とくにそれが重要なものごとであればあるほど。
物語とは魔術である。ファンタジー小説風に言えば、我々小説家はそれをいわば「白魔術」として使う。一部のカルトはそれを「黒魔術」として使う。
ー『雑文集』 村上春樹ー
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僕がこの手紙を受け取ったのは昨日の3時過ぎだった。僕は局の喫茶店でコーヒーを飲みながらこれを読んで、夕方仕事が終わると港まで歩き、山の方を眺めてみたんだ。君の病室から港が見えるんなら、港から君の病室も見える筈だものね。山の方には実にたくさんの灯りが見えた。もちろんどの灯りが君の病室のものなのかはわからない。あるものは貧しい家の灯りだし、あるものは大きな屋敷の灯りだ。あるものはホテルのだし、学校のもあれば、会社のもあるわ、実にいろんな人がそれぞれに生きてたんだ、と僕は思った。そんな風に感じたのは初めてだった。そう思うとね、急に涙か出てきた。泣いたのは本当に久しぶりだった。でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。
僕は・君たちが・好きだ。
あと10年も経って、この番組や僕のかけたレコードや、そして僕のことをまだ覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。
彼女のリクエストをかける。エルヴィス・プレスリーの「グッドラック・チャーム」。この曲が終わったらあと1時間50分、またいつもみたいな犬の漫才師に戻る。
御清聴ありがとう。
15年経って読んでも色褪せない一冊。
中学校2年の時に最初に手にとって、その時死とかセックスについては全くわからないなりにも夢中になった。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
物語の出だしは今でも覚えてる。
気付けば俺は、この物語の主人公(デビュー作を書いてた頃の村上春樹)と同い年になったんだな。
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村上春樹の短篇集『神の子どもたちはみな踊る』の最後に収録されている『蜂蜜パイ』が好きだ。
淡い三角関係の男男女+幼い娘の恋愛と友情の物語。くまの童話を物語に差し込むことで幸せな結末を暗示させるところがお気に入り。
くまのまさきちは高槻で、くまのとんきちは淳平。まさきちが摂る蜂蜜は小夜子への愛情で、淳平の摂る鮭は文学。鮭が川からいなくなった後、とんきちがまさきちの摂った蜂蜜でパイを美味しく焼く術を身につける(小夜子と沙羅のことを愛する)ことで、3人は幸せになれる。
沙羅はきっとその新しい結末を喜ぶだろう。おそらくは小夜子も。
これまでとは違う小説を書こう、と淳平は思う。夜が明けてあたりが明るくなり、その光の中で愛する人々をしっかりと抱きしめることを、誰かが夢見て待ちわびているような、そんな小説を。でも今はとりあえずここにいて、二人の女を護らなくてはならない。相手が誰であろうと、わけのわからない箱に入れさせたりはしない。たとえ空が落ちてきても、大地が音を立てて裂けても。
この短編を久しぶりに読み返しながら、俺はまるでとんきちだなと思った。
蜂蜜パイの美味しい焼き方はまだわからないけど。
どちらも、人間の本能的な部分(羞恥心やエロティシズム)をうまく利用したメッセージ性の強い広告。
こういう広告って、費用対効果云々のつまらない話ではなく、面白いかどうかの勝負って感じで、いいね。いち消費者としての感動もあるけど、業界人としても、こういう仕掛けに果敢にGOサイン出すメーカーに対して好感を持つ。